深志高校33回卒業生の皆様
2011年10月15日(土)、深志高校33回生、卒業30周年記念事業が盛会の内に終わりました。深志の地に集まった140名余の仲間達。すてきな時間を持つことができました。
今後は、とんぼ33会(松本深志高校33回卒業生)の交流の場として、同窓会等の案内やお知らせ等をしていきます。
代表メールとこのブログは、とんぼ33会理事の熊谷(6組)が管理しています。代表アドレス宛にいただいたメールは、宛先を書いていただければ各クラス代表に転送し連絡をとります。
代表メールのアドレスは tonbo33kai@gmail.com です。
住所・連絡先等の変更をお知らせください
・住所や電話番号等の変更をお知らせいただければ、名簿に反映し、次回からの案内を変更先にお届けできるようにします。代表メールのアドレス tonbo33kai@gmail.com 宛てに連絡をお願いします(メール管理は、とんぼ33会理事・熊谷(6組)が行っています。)
2012/07/17
回想 ~実行委員会事務局長 挨拶~
今年の同窓会の計画をスタートさせ、さっそく関係諸氏にメールでその旨をお知らせしました。
「誠意とは、スピードである」
だれの言葉か失念してしまいましたが、実行委員会事務局長の谷川くんからすぐさま返事をいただきました。あわせて、記念式典当日の懇親会での実行委員会事務局長挨拶の原稿を送っていただきました。
昨年のけっこうきつかったけれど、それ以上に楽しく夢中になって進めていた実行委員会の幾多の場面を思い出しました。
では、とんぼ33会の舞台裏をご覧くださいませ。
2011/10/01
「30周年実行委員会の立ち上がりをお話します」(事務局長のつぶやき その3)
いよいよ記念会まであと2週間。実行委員会も最後の大詰めを迎えてみんな一生懸命に頑張っています。
昨年の暮れに第1回の実行委員会が開かれてから、あっという間の10ヶ月間でした。今回のことがきっかけで高校のころには知らなかった新しい同期生との出会いもあり、また長らく連絡していなかった友人ともお話ができ、楽しいこともたくさんありました。
この実行委員会がどんな形で立ち上がったかを簡単にお話ししますね。昨年の11月、私の手元に1組の井口君から1通のメールが届きました。われわれ深志高校33回が来年卒業30周年を迎える、ということで記念事業をやる必要がある、という内容でした。現在、7組の石川君が母校の教壇に立って活躍しています。毎年30周年を迎える学年が毎年記念事業をしていて、今度はわれわれの学年の順番であることを石川君から井口君に連絡があったわけです。
深志高校には卒業生全体の同窓会があり、各学年から数名の代表者(同窓会学年理事)を出すことになっています。昭和56年、卒業したその年の秋ころ、私のところに学校からその代表者になるように連絡がありました。なにしろ30年前のことでしっかり覚えていないのですが、おそらくわれわれの学年の担任の先生のどなたかからだったような記憶があります。もしかしたら上島先生(カミチュウ先生)あたりだったかも知れません。私自身は在学中に生徒会や応管などのようなみんなの先頭に立つ「主流派」の役などとは全く無縁でしたので、なんとか勘弁してもらえないかと何度もお願いしたのですが、ちょうどその年に5年に1回の同窓会名簿の改定が行われるため、どうしても代表者が必要で、「おまえは近隣に住んでいるし暇そうだからやれ」というなかば命令のようなものでした。
さらに今からちょうど10年ほど前に高校創立130周年記念事業があったときに、同窓会の各学年の代表者の組織作りをしっかりするように細川先生(サンキュウ先生)から井口君に要請があり、以来井口君が代表理事となって同窓会との連絡を引き受けてくれていました。
そんな経緯があったため石川君から井口君、そして私への連絡が回ってきたわけです。先輩たちの30周年の事業内容をみるとけっこう大変そうであり、困ったことだと思いました。石川君がいろいろ骨を折ってくれて、第1回会合を予定しました。井口君と私でその準備をする中で、今回の記念会は単なる同期会と違ってかなり大がかりであるし、先程も書きましたが、やはり私や井口君は決して在学時「主流派」ではなかったので、主流派の同期生を含めて、もっと多くの友人に声をかけるべきではないかだろうか、という事になりました。ちょうど同じころ、井口君が8組の浜さんと偶然何年かぶりで会う機会があり、井口君から浜さんにその話をしたところ、浜さんが「それはみんなで頑張ってぜひ成功させなければ」ということですぐに委員会に入ってくれることを快諾してくれて、さらに8組の備前さんにも連絡してくれました。備前さんの御夫君こそ生徒会長であり、今回の実行委員長である4組の備前君です。私は卒業以来のご無沙汰だったのですが、携帯番号を教えてもらってすぐに連絡を取りました。なんと懐かしかったことか。すぐに備前君も実行委員会への参加を快諾してくれました。やはり応管団長の熊谷君にはぜひ一肌でも二肌でも脱いでもらわないと事は進まないと思い、12月の寒いある日、それこそ30年間御無沙汰だったので私のことなんか覚えているだろうか、と心配しながら熊谷君に電話をかけてみたのです。「もしもし熊谷さんでしょうか。あの、私、高校の時一緒だった谷川と申しますけど」熊谷君はすぐにわかってくれ「谷川君、久しぶり」と返事を返してくれました。30年のという気の遠くなるような年月を超えて、一瞬のうちに同期生の話ができる幸せを感じました。あとから熊谷君に聞けば、私が電話をした数時間前に備前君からも連絡があった、ということで「運命的なものを感じた」とのことでした。
かくして昨年12月26日、母校で第1回の実行委員会が開かれ、井口君、備前夫妻、熊谷君、浜さん、石川君、私をはじめ、同じく学年代表者(理事)に名を連ねていた2組の猿田(吉)君、3組の清水君、6組の村山君(第1回は欠席)を含め、1組の島君、田下君、永田君、3組の森君、4組の窪田君、5組の下里君も出席してもらうことができました。
第1回の委員会は、久しぶりに会う人、はじめて会う人もいて、委員会の雰囲気ははっきりいってカチカチでした。まだ実行委員長も決まっていなかったため、井口君と私で何回か事前に何回か相談して議案や資料をプリントにまとめていきました。何回も書きますがふたりとも決して在校時、みんなの先頭に立って行事などをやるタイプではないにもかかわらず、これまで井口は10年間代表理事として同窓会とのパイプ役を担ってきたし、私も卒業直後から30年間、学年代表、というよりはお世話役、ということで、あまり適任ではないと思っていたので、極端な話、第1回実行委員会でバトンタッチをするくらいの気持ちでいました。しかしそうは簡単にもいかず、委員会の仕事を担う事になり、最初は「困った、困った」と思っていました。確かにこの10カ月は記念事業の準備で本当に大変でした。しかしあと2週間を残すこのごろになってみると、なんだか楽しかったことがたくさん思い出されます。まだ記念会が終わっていないので感慨を話すには早いのですが、そんな気持ちです。
あと2週間、実行委員会のみんなで頑張ります。みんなそれぞれの職場で重責の担っていながら時間を惜しんで準備をしてくれています。至らないところもあると思いますがなにとぞご容赦ください。同期生の皆さんにおかれましてもぜひ「実行委員会で準備した記念会にお呼ばれする」というのではなく「一緒に作り上げる」という視点でのご協力をよろしくお願いします。
熊谷団長が言っていました。「どうせやるなら楽しくやろうぜ。30年ぶりのトンボ祭じゃん」
楽しい記念会にしましょう。
みなさんとの再会をこころから楽しみにしています。
8組 谷川浩隆
昨年の暮れに第1回の実行委員会が開かれてから、あっという間の10ヶ月間でした。今回のことがきっかけで高校のころには知らなかった新しい同期生との出会いもあり、また長らく連絡していなかった友人ともお話ができ、楽しいこともたくさんありました。
この実行委員会がどんな形で立ち上がったかを簡単にお話ししますね。昨年の11月、私の手元に1組の井口君から1通のメールが届きました。われわれ深志高校33回が来年卒業30周年を迎える、ということで記念事業をやる必要がある、という内容でした。現在、7組の石川君が母校の教壇に立って活躍しています。毎年30周年を迎える学年が毎年記念事業をしていて、今度はわれわれの学年の順番であることを石川君から井口君に連絡があったわけです。
深志高校には卒業生全体の同窓会があり、各学年から数名の代表者(同窓会学年理事)を出すことになっています。昭和56年、卒業したその年の秋ころ、私のところに学校からその代表者になるように連絡がありました。なにしろ30年前のことでしっかり覚えていないのですが、おそらくわれわれの学年の担任の先生のどなたかからだったような記憶があります。もしかしたら上島先生(カミチュウ先生)あたりだったかも知れません。私自身は在学中に生徒会や応管などのようなみんなの先頭に立つ「主流派」の役などとは全く無縁でしたので、なんとか勘弁してもらえないかと何度もお願いしたのですが、ちょうどその年に5年に1回の同窓会名簿の改定が行われるため、どうしても代表者が必要で、「おまえは近隣に住んでいるし暇そうだからやれ」というなかば命令のようなものでした。
さらに今からちょうど10年ほど前に高校創立130周年記念事業があったときに、同窓会の各学年の代表者の組織作りをしっかりするように細川先生(サンキュウ先生)から井口君に要請があり、以来井口君が代表理事となって同窓会との連絡を引き受けてくれていました。
そんな経緯があったため石川君から井口君、そして私への連絡が回ってきたわけです。先輩たちの30周年の事業内容をみるとけっこう大変そうであり、困ったことだと思いました。石川君がいろいろ骨を折ってくれて、第1回会合を予定しました。井口君と私でその準備をする中で、今回の記念会は単なる同期会と違ってかなり大がかりであるし、先程も書きましたが、やはり私や井口君は決して在学時「主流派」ではなかったので、主流派の同期生を含めて、もっと多くの友人に声をかけるべきではないかだろうか、という事になりました。ちょうど同じころ、井口君が8組の浜さんと偶然何年かぶりで会う機会があり、井口君から浜さんにその話をしたところ、浜さんが「それはみんなで頑張ってぜひ成功させなければ」ということですぐに委員会に入ってくれることを快諾してくれて、さらに8組の備前さんにも連絡してくれました。備前さんの御夫君こそ生徒会長であり、今回の実行委員長である4組の備前君です。私は卒業以来のご無沙汰だったのですが、携帯番号を教えてもらってすぐに連絡を取りました。なんと懐かしかったことか。すぐに備前君も実行委員会への参加を快諾してくれました。やはり応管団長の熊谷君にはぜひ一肌でも二肌でも脱いでもらわないと事は進まないと思い、12月の寒いある日、それこそ30年間御無沙汰だったので私のことなんか覚えているだろうか、と心配しながら熊谷君に電話をかけてみたのです。「もしもし熊谷さんでしょうか。あの、私、高校の時一緒だった谷川と申しますけど」熊谷君はすぐにわかってくれ「谷川君、久しぶり」と返事を返してくれました。30年のという気の遠くなるような年月を超えて、一瞬のうちに同期生の話ができる幸せを感じました。あとから熊谷君に聞けば、私が電話をした数時間前に備前君からも連絡があった、ということで「運命的なものを感じた」とのことでした。
かくして昨年12月26日、母校で第1回の実行委員会が開かれ、井口君、備前夫妻、熊谷君、浜さん、石川君、私をはじめ、同じく学年代表者(理事)に名を連ねていた2組の猿田(吉)君、3組の清水君、6組の村山君(第1回は欠席)を含め、1組の島君、田下君、永田君、3組の森君、4組の窪田君、5組の下里君も出席してもらうことができました。
第1回の委員会は、久しぶりに会う人、はじめて会う人もいて、委員会の雰囲気ははっきりいってカチカチでした。まだ実行委員長も決まっていなかったため、井口君と私で何回か事前に何回か相談して議案や資料をプリントにまとめていきました。何回も書きますがふたりとも決して在校時、みんなの先頭に立って行事などをやるタイプではないにもかかわらず、これまで井口は10年間代表理事として同窓会とのパイプ役を担ってきたし、私も卒業直後から30年間、学年代表、というよりはお世話役、ということで、あまり適任ではないと思っていたので、極端な話、第1回実行委員会でバトンタッチをするくらいの気持ちでいました。しかしそうは簡単にもいかず、委員会の仕事を担う事になり、最初は「困った、困った」と思っていました。確かにこの10カ月は記念事業の準備で本当に大変でした。しかしあと2週間を残すこのごろになってみると、なんだか楽しかったことがたくさん思い出されます。まだ記念会が終わっていないので感慨を話すには早いのですが、そんな気持ちです。
あと2週間、実行委員会のみんなで頑張ります。みんなそれぞれの職場で重責の担っていながら時間を惜しんで準備をしてくれています。至らないところもあると思いますがなにとぞご容赦ください。同期生の皆さんにおかれましてもぜひ「実行委員会で準備した記念会にお呼ばれする」というのではなく「一緒に作り上げる」という視点でのご協力をよろしくお願いします。
熊谷団長が言っていました。「どうせやるなら楽しくやろうぜ。30年ぶりのトンボ祭じゃん」
楽しい記念会にしましょう。
みなさんとの再会をこころから楽しみにしています。
8組 谷川浩隆
2011/08/13
情報の提供をお願いします
お盆です。帰省されている方も多いのではないでしょうか。帰省先で「案内通知」を目にされた方もいらっしゃることでしょうね。
閑話休題。今週は嬉しいメールをいただきました。案内通知の「情報提供について」に掲載した8名の方のうち、3名の方の住所を提供していただいたのです。他にも、ご実家の住所ではなく、現住所の提供が3名分。計、6名分の最新情報を事務局に連絡していただきました。ありがとうございます。残るはあと5名。引き続き、情報の提供をお願いします。
閑話休題。今週は嬉しいメールをいただきました。案内通知の「情報提供について」に掲載した8名の方のうち、3名の方の住所を提供していただいたのです。他にも、ご実家の住所ではなく、現住所の提供が3名分。計、6名分の最新情報を事務局に連絡していただきました。ありがとうございます。残るはあと5名。引き続き、情報の提供をお願いします。
2011/08/05
応援歌、パクリまくり(副実行委員長 調子づいて呟きます)
事務局長に好評だったので、調子づいて第2弾です。
題名の通り、応援歌や旧制高校寮歌の文言をパクリまくりです。
21年前、初任地のK小6年担任時、運動会の騎馬戦練習について書いていて、そのまま「え~い、古文風に書いてしまえ」と勢いに任せて書いた学級通信。辞書引きながら、歌集見ながら、書いたんです。古語文法?ひたすら感覚、でっちあげ。
当時の教頭先生に「だれが読むんだ?」と言われた代物。たしかにその通り。伝えようという気持ちはないね。自身のおもしろがりだけで書いたもの。
熊谷賢一(6組)
題名の通り、応援歌や旧制高校寮歌の文言をパクリまくりです。
21年前、初任地のK小6年担任時、運動会の騎馬戦練習について書いていて、そのまま「え~い、古文風に書いてしまえ」と勢いに任せて書いた学級通信。辞書引きながら、歌集見ながら、書いたんです。古語文法?ひたすら感覚、でっちあげ。
当時の教頭先生に「だれが読むんだ?」と言われた代物。たしかにその通り。伝えようという気持ちはないね。自身のおもしろがりだけで書いたもの。
熊谷賢一(6組)
嗚呼、花の応援団(副実行委員長もつぶやきます)
実のところ、事務局長・谷川氏とのメールのやりとりをしていると、当時も今も表には出せない事柄の多さに驚く。
「こんなことは人には言えないよなぁ。」
と思ってしまうことばかりだ。だからこそ楽しい。そうした一つ一つのエピソードを思うたびに
「深志のよさって、おおらかさ、だよね。」
と感じる。おおらかさってのは、俺たちの高校時代の宝物だろうな。その延長上に今がある。
今回の記念事業。30年ぶりのとんぼ祭みたいなもんだ。楽しもう。
18年前、中学1年生を担任していた時の学級通信に応管のことを書いていた。
中学の学校祭の前。きっと合唱を全力で歌うと楽しいよってことを伝えたかったんだと思う。今となっては、記憶にないことも書いている。
熊谷賢一(6組)
「こんなことは人には言えないよなぁ。」
と思ってしまうことばかりだ。だからこそ楽しい。そうした一つ一つのエピソードを思うたびに
「深志のよさって、おおらかさ、だよね。」
と感じる。おおらかさってのは、俺たちの高校時代の宝物だろうな。その延長上に今がある。
今回の記念事業。30年ぶりのとんぼ祭みたいなもんだ。楽しもう。
18年前、中学1年生を担任していた時の学級通信に応管のことを書いていた。
中学の学校祭の前。きっと合唱を全力で歌うと楽しいよってことを伝えたかったんだと思う。今となっては、記憶にないことも書いている。
熊谷賢一(6組)
2011/08/03
実行委員会の様子をお届けします その2 (事務局長のつぶやき 再び)
7月24日に第6回の実行委員会が開かれました。正面玄関を入って左に折れた会議室がいつもの会場です。はじめて出席してくれたメンバー、藤森君のあいさつにはじまり、早速討議開始。毎回、委員会の検討内容は司会の熊谷副実行委員長がプリントしてきてくれます。記念会まであと3カ月を切り、いよいよ忙しくなってきました。
最初のころは、同期生といっても知らない人もたくさんいて、みんなこわごわ発言していたんです。今回のことではじめて知り合った同期生もたくさんいます。面白いものではじめて知り合ったのになぜか古い友人のように感じるばかりでなく、30年ぶりに再会した仲間も、それぞれがその語り口や所作が30年前と全く変ってないことを確認すると、長い年月を飛び越えて一瞬のうちに高校時代に引き戻されてしまう感じになります。
尚学塾については講師の資料もほぼ出そろい細部の検討に入りました。ホームページでも紹介した9人と1組のすばらしい講師陣です。ホームページとパンフレットで掲載する講師の写真を委員会で回覧すると、ずいぶん立派になって貫禄充分の○○君や、いつまでたっても全然変わらず若々しい○○さんの写真におもわず歓声が湧き委員会も活気にあふれます。尚学塾担当は私、谷川と井口、森村、宮入です。当日の分担作業の采配を井口君が担当し、パンフレット制作を宮入君が、講義の準備を森村君がやってくれています。母校で教べんをとる石川君が教室の設定はじめ高校との連絡を一手に引き受けてくれています。
現在、深志高校では40%が女子生徒ということで、講師陣も10人中4人を女性としました。これからホームページでご紹介していく予定です。特に今年の特徴として、講演だけでなく「家庭科室で料理を作りながら」(浜さん)、「音楽室でピアノを弾きながら」(臼井さん)、「複数人でのパネルディスカッション」(コーディネーター宮入君)などアトラクティブなレクチャーがあります。
当日は午前11時から1年生を対象に10教室にわかれて行いますが、同期生も見学できるのでお時間のあいた方はぜひ見に来てください。
午後の記念会と懇親会は熊谷団長が最も大きな担当部会を引っ張って取りまとめています。いよいよ佳境となり、当日の人の流れ、会の詳しい内容などについて討議されています。楽しい懇親会になりそうです。ご健在な担任の先生についても各クラス委員からすでに出席のお願いの打診をしています。また当日配布する記念誌については平林(伸)君が計画を立ててくれています。昔話のきっかけになるような内容にする予定だそうです。また懇親会では在学当時の写真をプロジェクタでみんなに見てもらおうということになりました。高校時代の写真をお持ちの方は同期会専用メールアドレスまでメール添付で送ってください。
記念会懇親会の出欠確認については次回8月7日の委員会で発送業務を行う予定です。案内状は熊谷君、副事務局長の備前智代さん、名簿担当の猿田君が大変な労力をかけて準備してくれました。
みなさんからお預かりした大切な募金については永田君、島君が会計として立派なシステムを作ってくれしっかり管理してもらっています。懇親会の出席人数が出たら予算案を作成してそれに則って運営していく予定です。募金担当は備前実行委員長です。現在のところ、目標額の200万円に対して約2/3の額が集まっています。募金をまだ振り込んでいない方は是非今回の趣旨を御理解いただき母校と後輩、同期会のために募金をよろしくお願いします。
ホームページで募集している当日のお手伝いについては数人の同期生から「やってもいいよ」という連絡をいただきました。われわれ実行委員は毎月、遠くは長野から手弁当で来てくれる人もいます。みなさんもぜひ「実行委員会が作る記念会に行く」ではなく「同期生みんなで記念会を作り上げる」という視点でのご協力をお願い申し上げます。昨日は尚学塾の講師の皆さんに「講演が終わったら当日のお手伝いをしてもらえると助かります」なんてずうずうしいメールを出したらすぐに2人の講師から「なんでもお手伝いします」と返信があり感激しました。
すでに半年にならんとする記念会の準備作業ですが、日常の自分の仕事の傍らでやっているため本当に大変です。今日、私の職場に同期会のホームページをみた、ということで同期生がひょっこり訪ねてきてくれました。卒業以来なんと30年ぶりの再会でした。彼とは違うクラスでしたが、授業で一緒になることがありました。30年ぶりなのに、会って一瞬にして彼と一緒に授業をうけた場面などが懐かしく思い出されてしばらく昔話に花が咲きました。こんなことがあると本当にうれしいものです。
谷川浩隆(8組)
最初のころは、同期生といっても知らない人もたくさんいて、みんなこわごわ発言していたんです。今回のことではじめて知り合った同期生もたくさんいます。面白いものではじめて知り合ったのになぜか古い友人のように感じるばかりでなく、30年ぶりに再会した仲間も、それぞれがその語り口や所作が30年前と全く変ってないことを確認すると、長い年月を飛び越えて一瞬のうちに高校時代に引き戻されてしまう感じになります。
尚学塾については講師の資料もほぼ出そろい細部の検討に入りました。ホームページでも紹介した9人と1組のすばらしい講師陣です。ホームページとパンフレットで掲載する講師の写真を委員会で回覧すると、ずいぶん立派になって貫禄充分の○○君や、いつまでたっても全然変わらず若々しい○○さんの写真におもわず歓声が湧き委員会も活気にあふれます。尚学塾担当は私、谷川と井口、森村、宮入です。当日の分担作業の采配を井口君が担当し、パンフレット制作を宮入君が、講義の準備を森村君がやってくれています。母校で教べんをとる石川君が教室の設定はじめ高校との連絡を一手に引き受けてくれています。
現在、深志高校では40%が女子生徒ということで、講師陣も10人中4人を女性としました。これからホームページでご紹介していく予定です。特に今年の特徴として、講演だけでなく「家庭科室で料理を作りながら」(浜さん)、「音楽室でピアノを弾きながら」(臼井さん)、「複数人でのパネルディスカッション」(コーディネーター宮入君)などアトラクティブなレクチャーがあります。
当日は午前11時から1年生を対象に10教室にわかれて行いますが、同期生も見学できるのでお時間のあいた方はぜひ見に来てください。
午後の記念会と懇親会は熊谷団長が最も大きな担当部会を引っ張って取りまとめています。いよいよ佳境となり、当日の人の流れ、会の詳しい内容などについて討議されています。楽しい懇親会になりそうです。ご健在な担任の先生についても各クラス委員からすでに出席のお願いの打診をしています。また当日配布する記念誌については平林(伸)君が計画を立ててくれています。昔話のきっかけになるような内容にする予定だそうです。また懇親会では在学当時の写真をプロジェクタでみんなに見てもらおうということになりました。高校時代の写真をお持ちの方は同期会専用メールアドレスまでメール添付で送ってください。
記念会懇親会の出欠確認については次回8月7日の委員会で発送業務を行う予定です。案内状は熊谷君、副事務局長の備前智代さん、名簿担当の猿田君が大変な労力をかけて準備してくれました。
みなさんからお預かりした大切な募金については永田君、島君が会計として立派なシステムを作ってくれしっかり管理してもらっています。懇親会の出席人数が出たら予算案を作成してそれに則って運営していく予定です。募金担当は備前実行委員長です。現在のところ、目標額の200万円に対して約2/3の額が集まっています。募金をまだ振り込んでいない方は是非今回の趣旨を御理解いただき母校と後輩、同期会のために募金をよろしくお願いします。
ホームページで募集している当日のお手伝いについては数人の同期生から「やってもいいよ」という連絡をいただきました。われわれ実行委員は毎月、遠くは長野から手弁当で来てくれる人もいます。みなさんもぜひ「実行委員会が作る記念会に行く」ではなく「同期生みんなで記念会を作り上げる」という視点でのご協力をお願い申し上げます。昨日は尚学塾の講師の皆さんに「講演が終わったら当日のお手伝いをしてもらえると助かります」なんてずうずうしいメールを出したらすぐに2人の講師から「なんでもお手伝いします」と返信があり感激しました。
すでに半年にならんとする記念会の準備作業ですが、日常の自分の仕事の傍らでやっているため本当に大変です。今日、私の職場に同期会のホームページをみた、ということで同期生がひょっこり訪ねてきてくれました。卒業以来なんと30年ぶりの再会でした。彼とは違うクラスでしたが、授業で一緒になることがありました。30年ぶりなのに、会って一瞬にして彼と一緒に授業をうけた場面などが懐かしく思い出されてしばらく昔話に花が咲きました。こんなことがあると本当にうれしいものです。
谷川浩隆(8組)
2011/07/16
実行委員会の様子をお届けしましょうか(事務局長のつぶやき)
実行委員会について、どんな感じでやっているか少しお話ししますね。
12月から月1回のペースで母校の会議室で委員会をやっています。毎回15名位参加しています。30年前の在学中は知らない間柄で、この委員会で初めて知り合った同期生も多く、最初は「~さん、どうですか」なんて、おそるおそるぎこちない敬語を使ってやっていたのですが、最近になってやっと30年前を彷彿とさせる「議論」や「おしゃべり」もできるようになってきました。
私は実行委員会では6組の村山くんの横に座ることが多いんです。オサ(村山君のこと)が会議中に面白いこと言うもんだからふたりで笑いが止まらなくなり高校の授業中のようになってしまうことがあります。
いつだったか委員会の後、オサと市役所まで歩いたんです。話しながら歩いたらあっという間でした。高校の頃って、駅まで歩いても、友達と話しているとすぐ着いちゃったでしょ。そんな感じでとても懐かしかったです。
またこれをきっかけに「知らなかった同期生」ともたくさん知りあうことができ、その多士済々に驚いています。副実行委員長の熊谷君とは委員会のことで何回もメールでやり取りしてるんですが、そのたびにとても楽しくなること、考えさせられることが書いてあり、熊谷君のいうところの「異業種とのいい出会い」にもなっています。
これまでのおもな活動を紹介します。
2組の猿田吉秀君が同期生の詳細な名簿を高度なエクセルのスキルで大変な労力を使って作ってくれました。ここまでの最大の功労者といって過言ではないでしょう。
また募金に関する煩雑な手続きを進めてくれたのは8組の備前智代さんでした。委員会の立ち上げには1組の井口君、7組の石川君が尽力してくれました。
ちなみに役割分担(責任者のみ)ですが、名簿係が猿田君、募金・渉外が委員長の備前君、式典懇親会とHP管理が副実行委員長の熊谷君、会計が1組の永田君、記念誌が2組の平林伸君、尚学塾が私です。
委員それぞれの役割分担の詳細もホームページに載っています。
われわれ実行委員も、それぞれ忙しい仕事を持つ傍ら、毎月なんとかやりくりして委員会を開き、遠くは長野市から毎回手弁当で通ってきてくれている仲間もいます。そんな状態で準備を進めているため、まだまだ決まっていない点、準備不な点もたくさんあります。その点をぜひご理解いただき「委員会が準備した記念会に行く」というより「自分も同期生の一人として一緒に作り上げていく」という視点での協力をぜひお願いします。準備のための作業もけっこう時間がかかり委員それぞれ苦労していますが、熊谷君いわく「30年ぶりのトンボ祭じゃん、楽しくやろうぜ!」ということです。
ホームページでも当日のお手伝いの募集をしたのですが、いまのところ応募がありません。当日は午前中の尚学塾、午後の記念式典、懇親会があり、これらの準備や進行には実行委員だけではなく、よりたくさんの同期生の協力が必要と考えています。実行委員でなくても「これから1回くらい委員会に出てもいいな」とか、あるいは「当日だけなら手伝えそうだな」という方はぜひ同窓会専用メールアドレス(tonbo33kai@gmail.com)までご連絡ください
また委員会の様子などをホームページでご紹介したいと思います。10/15にみなさんに会えるのを楽しみにしています。
谷川浩隆
12月から月1回のペースで母校の会議室で委員会をやっています。毎回15名位参加しています。30年前の在学中は知らない間柄で、この委員会で初めて知り合った同期生も多く、最初は「~さん、どうですか」なんて、おそるおそるぎこちない敬語を使ってやっていたのですが、最近になってやっと30年前を彷彿とさせる「議論」や「おしゃべり」もできるようになってきました。
私は実行委員会では6組の村山くんの横に座ることが多いんです。オサ(村山君のこと)が会議中に面白いこと言うもんだからふたりで笑いが止まらなくなり高校の授業中のようになってしまうことがあります。
いつだったか委員会の後、オサと市役所まで歩いたんです。話しながら歩いたらあっという間でした。高校の頃って、駅まで歩いても、友達と話しているとすぐ着いちゃったでしょ。そんな感じでとても懐かしかったです。
またこれをきっかけに「知らなかった同期生」ともたくさん知りあうことができ、その多士済々に驚いています。副実行委員長の熊谷君とは委員会のことで何回もメールでやり取りしてるんですが、そのたびにとても楽しくなること、考えさせられることが書いてあり、熊谷君のいうところの「異業種とのいい出会い」にもなっています。
これまでのおもな活動を紹介します。
2組の猿田吉秀君が同期生の詳細な名簿を高度なエクセルのスキルで大変な労力を使って作ってくれました。ここまでの最大の功労者といって過言ではないでしょう。
また募金に関する煩雑な手続きを進めてくれたのは8組の備前智代さんでした。委員会の立ち上げには1組の井口君、7組の石川君が尽力してくれました。
ちなみに役割分担(責任者のみ)ですが、名簿係が猿田君、募金・渉外が委員長の備前君、式典懇親会とHP管理が副実行委員長の熊谷君、会計が1組の永田君、記念誌が2組の平林伸君、尚学塾が私です。
委員それぞれの役割分担の詳細もホームページに載っています。
われわれ実行委員も、それぞれ忙しい仕事を持つ傍ら、毎月なんとかやりくりして委員会を開き、遠くは長野市から毎回手弁当で通ってきてくれている仲間もいます。そんな状態で準備を進めているため、まだまだ決まっていない点、準備不な点もたくさんあります。その点をぜひご理解いただき「委員会が準備した記念会に行く」というより「自分も同期生の一人として一緒に作り上げていく」という視点での協力をぜひお願いします。準備のための作業もけっこう時間がかかり委員それぞれ苦労していますが、熊谷君いわく「30年ぶりのトンボ祭じゃん、楽しくやろうぜ!」ということです。
ホームページでも当日のお手伝いの募集をしたのですが、いまのところ応募がありません。当日は午前中の尚学塾、午後の記念式典、懇親会があり、これらの準備や進行には実行委員だけではなく、よりたくさんの同期生の協力が必要と考えています。実行委員でなくても「これから1回くらい委員会に出てもいいな」とか、あるいは「当日だけなら手伝えそうだな」という方はぜひ同窓会専用メールアドレス(tonbo33kai@gmail.com)までご連絡ください
また委員会の様子などをホームページでご紹介したいと思います。10/15にみなさんに会えるのを楽しみにしています。
谷川浩隆
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