昨年の暮れに第1回の実行委員会が開かれてから、あっという間の10ヶ月間でした。今回のことがきっかけで高校のころには知らなかった新しい同期生との出会いもあり、また長らく連絡していなかった友人ともお話ができ、楽しいこともたくさんありました。
この実行委員会がどんな形で立ち上がったかを簡単にお話ししますね。昨年の11月、私の手元に1組の井口君から1通のメールが届きました。われわれ深志高校33回が来年卒業30周年を迎える、ということで記念事業をやる必要がある、という内容でした。現在、7組の石川君が母校の教壇に立って活躍しています。毎年30周年を迎える学年が毎年記念事業をしていて、今度はわれわれの学年の順番であることを石川君から井口君に連絡があったわけです。
深志高校には卒業生全体の同窓会があり、各学年から数名の代表者(同窓会学年理事)を出すことになっています。昭和56年、卒業したその年の秋ころ、私のところに学校からその代表者になるように連絡がありました。なにしろ30年前のことでしっかり覚えていないのですが、おそらくわれわれの学年の担任の先生のどなたかからだったような記憶があります。もしかしたら上島先生(カミチュウ先生)あたりだったかも知れません。私自身は在学中に生徒会や応管などのようなみんなの先頭に立つ「主流派」の役などとは全く無縁でしたので、なんとか勘弁してもらえないかと何度もお願いしたのですが、ちょうどその年に5年に1回の同窓会名簿の改定が行われるため、どうしても代表者が必要で、「おまえは近隣に住んでいるし暇そうだからやれ」というなかば命令のようなものでした。
さらに今からちょうど10年ほど前に高校創立130周年記念事業があったときに、同窓会の各学年の代表者の組織作りをしっかりするように細川先生(サンキュウ先生)から井口君に要請があり、以来井口君が代表理事となって同窓会との連絡を引き受けてくれていました。
そんな経緯があったため石川君から井口君、そして私への連絡が回ってきたわけです。先輩たちの30周年の事業内容をみるとけっこう大変そうであり、困ったことだと思いました。石川君がいろいろ骨を折ってくれて、第1回会合を予定しました。井口君と私でその準備をする中で、今回の記念会は単なる同期会と違ってかなり大がかりであるし、先程も書きましたが、やはり私や井口君は決して在学時「主流派」ではなかったので、主流派の同期生を含めて、もっと多くの友人に声をかけるべきではないかだろうか、という事になりました。ちょうど同じころ、井口君が8組の浜さんと偶然何年かぶりで会う機会があり、井口君から浜さんにその話をしたところ、浜さんが「それはみんなで頑張ってぜひ成功させなければ」ということですぐに委員会に入ってくれることを快諾してくれて、さらに8組の備前さんにも連絡してくれました。備前さんの御夫君こそ生徒会長であり、今回の実行委員長である4組の備前君です。私は卒業以来のご無沙汰だったのですが、携帯番号を教えてもらってすぐに連絡を取りました。なんと懐かしかったことか。すぐに備前君も実行委員会への参加を快諾してくれました。やはり応管団長の熊谷君にはぜひ一肌でも二肌でも脱いでもらわないと事は進まないと思い、12月の寒いある日、それこそ30年間御無沙汰だったので私のことなんか覚えているだろうか、と心配しながら熊谷君に電話をかけてみたのです。「もしもし熊谷さんでしょうか。あの、私、高校の時一緒だった谷川と申しますけど」熊谷君はすぐにわかってくれ「谷川君、久しぶり」と返事を返してくれました。30年のという気の遠くなるような年月を超えて、一瞬のうちに同期生の話ができる幸せを感じました。あとから熊谷君に聞けば、私が電話をした数時間前に備前君からも連絡があった、ということで「運命的なものを感じた」とのことでした。
かくして昨年12月26日、母校で第1回の実行委員会が開かれ、井口君、備前夫妻、熊谷君、浜さん、石川君、私をはじめ、同じく学年代表者(理事)に名を連ねていた2組の猿田(吉)君、3組の清水君、6組の村山君(第1回は欠席)を含め、1組の島君、田下君、永田君、3組の森君、4組の窪田君、5組の下里君も出席してもらうことができました。
第1回の委員会は、久しぶりに会う人、はじめて会う人もいて、委員会の雰囲気ははっきりいってカチカチでした。まだ実行委員長も決まっていなかったため、井口君と私で何回か事前に何回か相談して議案や資料をプリントにまとめていきました。何回も書きますがふたりとも決して在校時、みんなの先頭に立って行事などをやるタイプではないにもかかわらず、これまで井口は10年間代表理事として同窓会とのパイプ役を担ってきたし、私も卒業直後から30年間、学年代表、というよりはお世話役、ということで、あまり適任ではないと思っていたので、極端な話、第1回実行委員会でバトンタッチをするくらいの気持ちでいました。しかしそうは簡単にもいかず、委員会の仕事を担う事になり、最初は「困った、困った」と思っていました。確かにこの10カ月は記念事業の準備で本当に大変でした。しかしあと2週間を残すこのごろになってみると、なんだか楽しかったことがたくさん思い出されます。まだ記念会が終わっていないので感慨を話すには早いのですが、そんな気持ちです。
あと2週間、実行委員会のみんなで頑張ります。みんなそれぞれの職場で重責の担っていながら時間を惜しんで準備をしてくれています。至らないところもあると思いますがなにとぞご容赦ください。同期生の皆さんにおかれましてもぜひ「実行委員会で準備した記念会にお呼ばれする」というのではなく「一緒に作り上げる」という視点でのご協力をよろしくお願いします。
熊谷団長が言っていました。「どうせやるなら楽しくやろうぜ。30年ぶりのトンボ祭じゃん」
楽しい記念会にしましょう。
みなさんとの再会をこころから楽しみにしています。
8組 谷川浩隆
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